機会、言い換えると、チャンス、更に言い換えると、そのことをするのに一番良い時、タイミングと言えます。
神様は愛する人に機会をどんどんくださいます。行動する人にはもっと様々な機会を下さいます。
例えば、今は健康でも、年を重ねるごとに、健康を失うようになります。だから、健康な時も自分が人生を思い切り生きる機会です。
機会という真理があります。それは、自分にとって何かを行った時にうまく行く、タイミングです。
自分の機会の時にやれば何事も易しくうまく行きます。
例えば何か自分の目標ややりたいことがあるけれども、自分の機会の時にそれをやれば、
そのことをするための時間もできて、環境も与えられ、助ける人も来る。
しかし機会を逃したら、一人で野原に立っているようなありさまになって、助ける人もいなく、それにふさわしい環境も手に入らなくてうまく行かない、ということです。
また、患難の時、機会が来ると言いました。
機会を考える時に分かりやすい譬えとして、今まさに行われているオリンピックをあげることができます。
オリンピックは各種目の選手たちにとって、自分の人生かけて注いできた努力が報われる、機会の時です。
そしてこのオリンピックという機会を自分のものにした選手たちがメダルを手にしています。
ここで、今回、初めて競技種目になった、スケートボードを見てみましょう。
堀米ゆうと選手が金メダルを取りましたが、競技の中で、最後の種目の中で転倒してしまい、点数が0点になってしまって順位が下がった瞬間がありました。見てる側は、わあ、終わった。。。と思いましたが、そこで、
あと2回、トリックを見せるチャンスがありました。
その時に、普通だったら次は安全に行こう、と考えるところ、彼は最後まで最難関のトリックに挑戦して、
高得点を取り、逆転で金メダルを獲得しました。
もし、そこで、最後の2回の機会を転ばないで安全に行くという選択をしていたら、金メダルは取れなかったでしょう。
転倒という艱難、そして順位が下がり、メダルから遠ざかってしまった艱難を、見事機会に変えて、最後まで最善を尽くして楽しんでやろう!ということを選択したところから成功を収めたモデルケースです。
体操の橋本選手もそうですよね。団体であと0.4という差で銀メダルになってしまった時に、その悔しさを機会として、
個人総合では絶対に金をとってやると言う気持ちで、臨みました。途中やはり、点数が下がってしまう場面があり、そこで順位が1位から4位に下がってしまいましたが、最後の鉄棒で、やはり妥協せず、一番難しい技を次々と決めて、見事逆転金メダルを獲得しました。
勝利した人達の共通点が、逆境に飲み込まれず、むしろそれをバネにして、次の戦いで勝利している、というところです。
機会の時が近くにあるけれど、それは探さなければ分からないと仰いました。
機会が自分の前でうろうろしている。自分の機会は自分だけが悟って分かる。瞬間その機会を捉えた人が成功します。
平素いい成績を収めている選手も、オリンピックの機会の時に逃さずつかんで行えないなら、残念に終わってしまいます。
逆に、平素目立たず、メダル圏内に入ってなかった選手たちの中でいきなりオリンピックの機会に日の目を見る人たちもいます。機会を掴めるかどうか、そのタイミングを掴めるかどうかが運命を大きく左右することがよくわかります。
・信仰でみると<機会>は「信仰を始める時、信仰が幼い時」です。
年齢が上でも下でも信仰を始める時が「自分をつくる機会」です。
・<機会>は「神様」と「聖霊様」がくださいます。
・サムエル記上10章7節を読むと、
「この兆候があなたに臨んだら、あなたは機会に従って行ないなさい。神様があなたと共にしてくださる」と書いてあります。
神様と聖霊様は<機会>をくださる前に、前もって「兆候」を見せて、機会だということを悟らせてくださいます。
そして<神様と聖霊様がくださった機会>をつかんで行なえば、
神様も聖霊様も共に行なってくださり、栄えるようにしてくださいます。
・<機会>を逃さずに行なえば「ストレス」が解消され、「さまざまな問題」が解けます。
しかし<機会>を逃したら、「現実に直面している問題」が解決されず、「望み願っていたこと」が成就しません。
・<肉的な機会>には、‐お金を稼げる機会、‐土地や建物を買える機会、‐自分が成功できる機会、‐自分の健康をより堅固にできる機会、‐死を免れる機会などがあります。
・<霊的な機会>には、‐信仰生活ができる機会、‐信仰生活をしていて、より次元を上げられる機会、‐霊界に入って神霊なことを学べる機会、‐神様と聖霊様と主と一体になる機会、‐使命をもらえる機会、‐伝道し管理できる機会、‐霊の死を免れる機会などがあります。
<機会>は「自分の願いを成就させる祝福」です。だから誰でも<機会>に従わなければなりません。
また、「大きい機会」は一生に数回しか来ません。
「一生のうち一度過ぎ去って終わる機会」もあるし、「10年あるいは20年待ってはじめて来る機会」もあります。
・<最も大きい機会>は「メシヤを信じ、従う機会」です。
・<機会>に従う人が「成功」を握って生きます。<機会>を逃したら、「失敗した人」になります。
だから<機会>をよく迎えられるように準備し用意しておいて、
機会が来たときにつかみ、成功していきたいですよね。
・<機会>が来るときは「患難」と「困難」と「大変なこと」も一緒に来ます。だから機会を逃しやすいです。
しかし、<機会>をつかみさえすれば「すべての問題」が解決します。
だから神様と聖霊様と主にどんなことが機会なのか尋ね、切実に悟り、
<機会>を絶対に逃さずに行なわなければなりません。
・神様はいつでも行なうのではなく、必ず<時>になってこそ行なわれます。
イザヤ書55章6節を読むと、神様は預言者イザヤを通して、
「あなたたちは主にお会いすることのできるうちに、主を尋ねよ。近くおられるうちに呼び求めよ。その時が機会だ」
とおっしゃいました。
・<主にお会いすることのできるうち>に呼び求めなければなりません。その時が「機会」です。
・若い時は自分の前にいろいろな機会がたくさん来ます。
<その中で最も大きく、よい機会>は「神様と主に従って行なう機会」です。
・全人類は成功するために<機会>を待ち、<機会>をつかんで行なわなければなりません。
・しかし人々は大概<機会>を逃してみて、後悔してみてはじめて機会を貴重に思います。
・コロナによってストレスもたまり、うつ病も生じるこの時ですが、
神様がそれなりに<機会>を与え、自分の問題も時、成功するようにしてくださっているから、
機会が何なのか見つけ、その機会を掴めるように行動しましょう!
神様は各自に<その都度行なうべきこと>を悟らせてくださいます。それが「各自の機会」です。
・神様は<求める人>にくださり、<探す人>に見いださせ、<門をたたく人>に開かれるようにしてくださいます。
<機会を求め、探し、待つ人>に「兆候」を見せてくださり、「機会」をつかんで行なうようにしてくださいます。
・生活の中で<機会>が来て去るから、「機会という単語」を頭の中から忘れずに考えて行動しましょう!