[マタイによる福音書5章48節]
- それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。
[ローマ人への手紙7章24~25節]
- わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。
- わたしたちの主イエス・キリストによって、神は感謝すべきかな。このようにして、わたし自身は、心では神の律法に仕えているが、肉では罪の律法に仕えているのである。
皆さん、人生を生きながら、このようなことを日々考えたりしませんか?
「私はいつになったら、苦労しないで苦痛なしに生きていくのだろうか?」
人は誰でも
「私はいつになったら、苦労しないで苦痛なしに生きていくのだろうか?」と言います。
皆さんもそうですか?
<人間>ならば誰でも、幼い10代から年上の人まで「苦痛」を味わいます。
各自<自分が直面している苦しみと苦痛>がいつ終わるのかと嘆き、苦しみます。
<貧困の苦痛>、<病気の苦痛>、<自分に対する苦痛>、
<生きていく中で味わうさまざまな苦痛>があります。
<一般的な苦痛>から<地獄のような苦痛>まで経験したことがあるでしょう。
人々は<苦痛>によって「心情」がはらはらし、「気」をもみ、
そうして「人生」を諦めて死ぬこともあります。
<自殺する人の中>で「喜んで死ぬ人」はいません。「希望」に燃えて死ぬ人もいません。
<押し寄せてくる苦しみと不安と心配>を手に負えなくて死にます。
<問題>が解決されなくて「苦痛」を受け、
<詐欺>に遭って「持っているもの」をすべて失って「苦痛」を受け、
「心配と悩みを解決するためには死ななければならない。
死んだら終わる」あるいは「この世で苦痛と心配なしに生きる人はいない」と言って諦めます。
そして<心配と悩みと苦しみと苦痛を味わうこと>が当然だと思って生きていきます。
そして人々は自分なりに<苦痛>を解消して生きていきます。
- ある人は<お金>で「苦痛」を解消して生きていくし、ある人は<名誉>で「苦痛」を解消して生きていきます。
- ある人は<結婚>したら「苦痛と心配」が解消するといって結婚して暮らすけれども、<離婚>してまた「苦痛」を味わうこともあります。
- ある人は「世の中のすべての苦痛」から抜け出すために一人で<山奥>に入って暮らします。そうして結局「山の人」になって寂しく生きていきます。
- ある人は「苦痛」を受けずに生きるために<旅行>に行きます。そうして「お金」があまりにもたくさんかかるからつらく思い、世の中を見て回っても「根本の問題」が解決されなくて諦めます。
- ある人は「心配と苦痛」が来るからといって<自分がほしいもの>を買っておいて、見て満足して生きていきます。
- ある人は「苦痛」を解消し「苦しみ」を忘れて生きようとして、<自分の仕事>に没頭して無我夢中で生きていきます。
各自<自分が見つけた方法>で「問題を解決」し、
「苦痛を解消」して生きていくためにもがきますが、
<どんなこと>ででも<霊と肉の根本の問題>が解決されないから、
つらい思いをして生きていきます。
<人生の根本の問題>が解決されなければ、
<困苦、心配、悩み、憂い、苦痛>を解消できずに死にます。
これについて神様は答えを下さいました!その答えはこれです!
「どんな人でも<神様の前で完全になるまで>は「苦労」をし「苦痛」を味わうようになる。
だから<苦労>をしないで<苦痛>を味わわないで楽に生きるためには、
<自分>を「完全に」つくって、<神様と一体になった生>を生きなさい」
これが今日のみ言葉の核心です。
神様の考え、行いは完全です。
それなのに人間の「心・精神・考え」は完全でなくて、ころころ変わります。
人間の心が完全でないので、人々はよく怒り、よく血気を出し、憤ります。
それによって憎しみ、争い、殺人、戦争など、様々な偶発的なことが起こります。
また人間が神様のように完全でないから、事故が起こり、病気になって死に、弱いです。
ではどうしたら完全な神様と一体になれるでしょうか?
<愛の根本者である神様と聖霊様>をまことに愛してこそ、
<神様と聖霊様>と一つになり、一体になることができます。
→どうしてでしょうか?
愛したら、愛してるから、1つになりたいですよね。
愛してる人と、バラバラになりたいという人がいるでしょうか?
愛しているから1つになりたくて、神様、聖霊様が願うように、自分を直したくなるし、
愛してるから一緒にいたいから、神様と一緒にいるために、
完全になるために努力するようになります。
そして<神様と聖霊様と一体になった人>は「完全な人」だと言います。
→神様と聖霊様が完全なので、神様と聖霊様と一体になった人も完全ですよね。
そのようにして<完全で、神様と一体になった人>は苦痛がなく、平安です。
皆さん!人生の苦痛と苦労は終わるのです!終わらせることができるのです!
どうやって?
「完全に生きて、神様と一体になったら。」
では、完全に生きるとは?
完全、と聞くと、負担感を感じる人、多いですよね?
しかし、今日はその認識を完全に覆せます!
<家を建てる人>が<家を完全に建てて住むまで>は「家を建てる苦労」もし、
「苦痛を味わいます。でも完全に建てたら、その家で楽に快適に過ごします。
でももし、家を完全に建てなかったらどうでしょう?
家が傾いていたり、雨漏りをしたり、隙間風が入って来たらどうですか?
その家で住んでいる期間、ずっと苦痛を受けることになります。
そのように、<人間>も<自分を完全につくるとき>までは
完全でない自分のせいで、「苦労」もし、「苦痛」を受けるようになります。
皆さん、悟りましたか?
完全になると、どうなるか?
苦痛と苦労は終わるのです!
人生の中の苦痛と苦労はずっと続くのではなく、終わりがあるのです!
ハレルヤ!
そしてその方法が、まさに、完全になる、ことです!
では皆さん、どちらを選びますか?
完全になるまでの過程が大変だから不完全なままでいて、一生苦労しながら苦痛を受けながら生きる。
完全になるまでの過程は大変だけど、完全になるように努力して、苦痛と苦労と終わらせて、楽に平安に生きる。
皆さん、もう1つ認識を転換しましょう。
神様を知って信じるようになったから、
完全を目指さないといけなくてむしろ苦労が多いと思いますか?
神様と一緒に生きるために、祈り、み言葉を聞いて、礼拝に参加し、
肉のことだけでも忙しいのに、霊的なことも+してしないといけなくなったから大変ですか?
では、神様を知らず、肉のことだけやる方が良いでしょうか?
考えてみましょう。
<永遠な存在者神様と聖霊様と御子>がいなければ、
<人間>は「肉体で終わる虚しい存在」に過ぎません。
この世を生きる時<神様>を信じ愛して救われて生きることができなければ、
<肉体100年の人生>で終わるから、本当に虚しいです。
100年間得たどんな富も栄華も名誉も、死ぬ時には一切持って行けません。
どんなにたくさんの物質、肉的な栄誉を持っていても、死ぬときには全て捨てないといけないですよね。。
その時には肉の世界では一切は無に処し、
ただ神様を信じて生きた人だけが次の世界に希望があります。
だから<絶対に>、<どんな困難>があっても、
<永遠なる神様>を信じ愛して生きてこそ次の世界に希望があります。
<人間を中心にしたすべての万物>は「物質の存在」です。
<物質の存在>はいくら美しく神秘的でも「暫しの間咲いて散る花」と同じです。
だから永遠ではありません。
<肉体>も、<地球万物>も「世の中で存在する時」が終われば、
一緒に終わってしまいます。
<人間>が「永遠に存在」して喜んで生きるためには、
完全に行なって<永遠な神様>と一体になって生きなければなりません。
そうしなければ、完全でない考えで罪を行って生きているうちに
<その霊>が地獄に行って、「永遠に苦痛」を受けて生きるようになります。
<永遠に喜んで生きる生>を成すために、誰もが過程の中で「苦労」もし、
「苦痛」も味わうようになります。
だから今は苦痛や苦労がありますね!?信仰生活が嫌になることもありますね?
しかし、過程が大変でつらくても<神様>を最後まで信じ愛して生きてこそ、
<永遠に苦労も、苦痛もない黄金天国>で<三位>と「永遠に」愛して生きるようになります。
皆さん、今神様を信じても、苦労や苦痛がありますか?
いくら<神様>を信じて<信仰生活>をしても、
<生活の苦痛と苦労>を味わわなければならないことについて
神様と聖霊様はこう仰いました。
「誰でも<完全になるまで>は『苦労』と『苦痛』を味わうようになる」
これは<もっと完全にすること>で
<全知全能なる神様と一体>になって「すべての苦労と苦痛」を終わらせよう
と言って、くださった御言葉です。
皆さん!希望を持って下さい!苦痛と苦労に、終わりがあるのです!
その方法が、今日のみ言葉
「神様のように完全になること」です!
<完全な生>で<神様と聖霊様と一体>になれば、「苦労」も「苦痛」も終わります。
<完全なもの>は<完全なもの>と一体になり、<善>は<善>と一体になります。
逆もまた然りですよね。
不完全なものは不完全なものと1つになり、悪は悪と1つになります。
誰と1つになりたいでしょうか?
・各自<自分>を把握してみたら、
「あること」は完全で、「あること」は完全でないこともあります。
全てが完全でない、というわけではありません。
良く陥りがちですが、0か100かで考えないでください。
<完全でないこと>だけを「絶対に完全に」すればいいです。
マタイによる福音書19章16~24節を読むと、
イエス様のところに<一人の青年>が来て
「私は<律法>も守り、<信仰生活>もしました。
救いを得るために<すべてのいましめ>を守って行ないました。
何をもっとすべきでしょうか?」と尋ねました。
これに対して<イエス様>は
「あなたが完全になりたいと思うなら、
<あなたの持ち物>をすべて売り払い「貧しい人」に分けてあげ、私のところに来て従いなさい」とおっしゃいました。
<青年>は「この御言葉」を聞いて悩み、帰ってしまいました。
<イエス様>はまわりにいた人たちに
「<金持ち>が『天国』に入ることは<ラクダ>が『針の穴』に入るほど難しい」
とおっしゃいました。
何とも言えないですね。
では今、私たちが神様に
「私は<神様のいましめ>をすべて守って行ないました。
<何>をもっとすれば完全になりますか?」と尋ねるならば、
神様はなんと仰るでしょうか?
「私のように完全になりなさい。
どんなことがあっても、最後まで自分を完全に作り、<私と一体>になって生きよう」
とおっしゃいます。
神様の御言葉を聞いて、お金持ちの青年のように悩まずに「はい、やります」と言って、
自分を完全につくって行なわなければなりません。
皆さん、お金持ちの青年のように、今日の御言葉を聞いて、悩んでますか?
完全になるなんて、大変。。。と?
もう、そのような考えにはならないですよね?
<完全で神様と一体になった生>は
<永遠な霊の生>も与え、<肉>が地上で生きる間
<苦痛のない平安な生>を生きるようにします。
<神様と一体になった信仰をする人>は、
「どんな困難」が雨風のように来ても、すべて勝ちます。
<神様と一体になった人たち>は「世の中」にも勝ち、「どんな困難」にも勝ち、
「サタン」も治めます。
<神様と一体になった人たち>は「善と悪」を分別し主管して、「聖霊の中」で生きていきます。
このようになれるなら、どれほど希望的な人生になるでしょうか!
皆さんは周りの人達と仲良く1つになりたいですか?
家族やパートナー、会社の人、学校の人、世界中の人達と1つになりたいですか?
<地球世界80億の人たち>と一つになって生きても、
<全知全能なる神様>と一つにならなければ、
<永遠な霊>をつくることができず、<永遠な力>を得ることもできません。
聖書の歴史を見ると、
いつの時代でも<神様が遣わした救い人の御言葉>を聞いて、
<神様>を分かって信じて仕えて愛し、<その御言葉>を完全に守って行なう時、
それによって「神様と一体」になりました。
ヨハネによる福音書15章5節でイエス様も
「<私>は『ぶどうの木』、<あなたたち>は『枝』だ。
誰でも<私の中>にとどまってこそ『実』を結ぶ。私と離れたら何もできない。
<私のいましめ>を守って行なえば、『私の中』にとどまり、
<私>と一つになり、<神様>と一つになる。
それによって<死>から出てきて<永遠の命>を得るようになり、
<天国>で永遠に生きるようになる」とおっしゃいました。
しかし!
<神様の御言葉>を聞くだけで「神様と一体になるの」ではありません。
どうしないといけないでしょうか?
聞くだけではなく?
<神様の御言葉を守って行ない、>
<神様を心から愛>してこそ「神様と一体」になります。
またもう1つ大事なことがあります。
<肉>も<霊>も清くあってこそ、「神様」を見るようにもなり、「神様と一体」にもなります。
清くなるには、各自<罪>を悔い改めなければなりません。
<人間>が生きていくためには「生活」をしなければなりません。
<生活>をしたら「生活ごみ」が出るように、<生活の中>で「神様の法から外れた罪」を犯すようになります。
<罪の数>は「数千」です。だから<罪>を犯さずに生きることができません。
だからイエス様は<悔い改め>たら「7回」だけでなく「70回」までも赦してあげるとおっしゃいました。
<生活の中>に「罪になること」が混ざっているから、罪を避けて生きることは本当に難しいです。
<罪>を犯したくなくても、犯すようになります。
だから<使徒パウロ>はローマ人への手紙7章22節以下で
「<心>では『神様の法』を守って行ない、<肉体>では『罪』を犯すようになるから、『みじめな人間』だ。
誰が<この死の体>から私を救ってくれるだろうか」と言いました。
<罪>を犯さないでいてこそ『苦痛』がありません。
<罪>を犯したら、『悔い改め』て、きれいにすることです。そうすれば『罪による苦痛』が消え去ります。
<生活の中>に「罪」が混ざっているから、
‐<罪>を学び、「罪に関すること」ははじめから行なわず、
‐<毎日悔い改め>なければなりません。
<罪>は「生活の中」に敷かれています。
<生活>したら<罪>を犯すようになるから、「罪」を分別し選り分けて、捨てなければなりません。
<フグ>という魚があります。
<フグの卵と内臓>を取り除かないで料理をして食べたら、死ぬか「死の苦痛」を受けます。
<罪>はちょうど「フグの卵と内臓」と同じです。
<フグの卵と内臓>を取り除いてフグちりにして食べるように、<罪>を取り除いて生きなければなりません。
<一匹のフグ>は「大人33人を殺せる毒」を持っています。衝撃でしょう?
<罪の毒>はもっと強力です。
<罪>には「地球世界の80億人をみんな殺す毒」があります。衝撃でしょう?
だから必ず<罪>を取り除いて生きなければなりません。
<罪>を捨てずに行なったら、
<肉>も「死亡圏」へと死ぬことになり、<霊>も「死亡圏」へ行って永遠に苦痛を受けるようになります。
このように<罪>は「恐ろしい罪の毒」を持っています。
<神様を信じない人たち>は<聖書で言う罪>を「罪」だと思わず、
「一つの自分の生活」だと思って生きていきます。
<兄弟に怒って憎むこと>も相手がそう接したから「当然なこと」だと思い、
「罪」だと思いません。
<安息日を守らないこと>も「罪」だと思いません。
<神様を信じないこと>も自由意志だから「罪」でないと言います。
しかし!
聖書では<永遠なる神様を信じないこと>を「一番大きい罪」と見なします。
<サタンたち>もそれを分かって、<神様を信じなかった人>に
「最大の地獄の苦痛」を与えます。
聖書で<神様とイエス様がしなさいと言ったこと>をしたら「義」で、
<するなと言ったこと>をしたら「罪」です。
<神様と一体>になったら、<神様>のように行なうから、「できないこと」がありません。
神様に<困難なこと>を解決してくださいとばかり言わないで、
各自<自分がすべきこと>をして、<行ない>を清くしなければなりません。
そして<神様が願われること:
自分を完全につくること>を専(もっぱ)ら行なわなければなりません。
各自「何を行なったら完全になるのか」悟ることを願います。
<祈っ>て<御言葉>を聞いて「完全でないこと」を悟り、平素<生活の中>で必ず直して行なわなければなりません。
聖霊も悟るように感動をくださるでしょう。
今週のみ言葉を行うことで、少しでも完全になることで人生の苦痛から解放されて生きる皆さんになることを祝福します!