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聖句:[マルコによる福音書4章14~20節]
- 種まきは御言をまくのである。
- 道ばたに御言がまかれたとは、こういう人たちのことである。すなわち、御言を聞くと、すぐにサタンがきて、彼らの中にまかれた御言を、奪って行くのである。
- 同じように、石地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞くと、すぐに喜んで受けるが、
- 自分の中に根がないので、しばらく続くだけである。そののち、御言のために困難や迫害が起こってくると、すぐつまずいてしまう。
- また、いばらの中にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞くが、
- 世の心づかいと、富の惑わしと、その他いろいろな欲とがはいってきて、御言をふさぐので、実を結ばなくなる。
- また、良い地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞いて受けいれ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶのである」。
[使徒行伝13章22節]
- それから神はサウロを退け、ダビデを立てて王とされたが、彼についてあかしをして、『わたしはエッサイの子ダビデを見つけた。彼はわたしの心にかなった人で、わたしの思うところを、ことごとく実行してくれるであろう』と言われた。
ちょっといきなりですが、ストレートな質問です(笑)
皆さんは自分の性格が好きですか?
また、自分は人に好かれる性格だと思いますか?
自分に自信がなかったり、人間関係で悩む人はとても多いのではないかと思います。
しかし周りの全ての人に好かれるというのは、簡単なことではありません。
芸能人を見ても、好きな芸能人と嫌いな芸能人のランキングが同じだったりしますよね(笑)
つまり、その人を好きな人が多い分、アンチな人も多いということを意味していたりもします。
好きと嫌いは紙一重?
ということもあるかもしれません。
だから私たちが全ての人に気に入られようと考えると、ものすごい挑戦を強いられることになります(笑)
そして、いつも周りの人が自分をどう思っているのか、あらゆる人の視線を伺いながら生きることになるので、それはもう、とんでもなくストレスフルな生活になることが予想されます(笑)
そこで、私からの提案です。
全ての人に気に入られようとするのではなく、
その対象を1つに絞るということです。
つまり、人ではなく、全知全能なる神様の心にかなう性格を身に着けようではないか、と言うことです。
神様は好きなもの、嫌いなものがはっきりされています。
そして神様ご自身が完全な善、完全な愛の方なので、その神様に照準を合わせたら、
大体全ての人に好かれる性格になる、というわけです。
無数の人に合わせるのは疲れますが、神様お一方に焦点を合わせるなら、
むしろ混乱もストレスもなく、シンプルですよね!
そして神様の好きな性格を身につければ、神様も私たちが心にかなうから、
共にしてくださいます。各自神様の心にかなうところがあってこそ、神様の心が向きます。そして神様の心にかなってこそ、その心で義と見なし、神様が一緒に行なって下さいます。
<どんな心>が<神様の心>にかなうのかは、
聖書に出てくる「神様が選んでお使いになった人たち」を見て知ることができるし、
各自どのようにしてこそ神様が喜んで共になさるのか
「経験してみて」知ることができます。
<神様の心にかなう心>と<私たちの心にかなう心>とは異なります。
<神様の心>にかなうためには、<神様の心>に合わなければなりません。
神様は<人>を選ぶとき、<その心>を見て、嬉しくなり、喜んで、お選びになります。
<心>が「人間の最高の核」です。
箴言4章23節では
「<命の源>が「心」から出る。だからすべての守るべきものの中で、<あなたの心>を守りなさい」と言いました。
<心>は、‐<親>から遺伝的に、体質的に持って生まれることもあり、
‐<自分>が削り、磨いてつくることもあります。
これはちょうど<畑>も
<肥沃な畑>のように元々から「土地の本質」がよくつくられている場合もあり、
<石地の畑>でも、石を抜いて土地を耕し肥料をやってつくったら「肥沃な畑」になるのと同じです。
人に接してみると、<持って生まれた心と品性>が分かります。
しかし心を削り、磨いてつくったら、もっと良く作ることが出来ます。
<肉体の体>を「健康に美しく丈夫につくること」も大変ですが、
<心>を「神様の心に合うようにつくること」が本当に難しいです。
聖書には神様の心にかなった中心人物たちがたくさん出てきます。
- ノアはその完全さが神様の心にかないました。
- アブラハムは見えない未来に対して神様を絶対に信頼し、神様が示す道に進み、その信仰が神様の心にかないました。
- ヨセフは幼い時から兄弟に嫉妬されて、あまりにも艱難が多い人生でしたが、最後まで耐え忍んで忠誠を尽くしたことが神様の心にかないました。
- エリヤ、エステル、ダニエルは最後まで祈り、神様により頼んだことが神様の心にかないました。
- ダビデは神様に絶対的に頼り、どんな辛い状況の中でも神様が共になさることを信じ、敵に対しても愛で接し、苦しいときも賛美し栄光を帰し、国をよく守り、王になっても謙遜で、変わらずに神様を愛したことが神様の心にかないました。
だから神様がいつも共にしてくださいました。 - イエス様は死ぬまで心と思いと命を尽くして神様と人々を愛したことが、神様の心にかないました。
私たちが人生の中で失敗する原因も自分の根本にある直せない、
悪い性格のせいであることが多いですよね。
結局、自分の根本の性格の問題を解決して生きる人が、人生も成功して生きるし、
神様の心にかないます。
だから私たちは、解決していない根本の問題を霊肉共にきれいにしなければなりません。
根本の問題を解決してこそ神様が共に行なってくださり、天国になります。
<全能なる神様>が<人の心>を見て選び、仕事も任せるように、
<私たち>も<人の心>を見て接してこそ、「害」を受けず、「問題」も起こりません。
神様は<預言者サムエル>に<人の外見>を見ないで<心の中心>を見なさいと言いました。
<人の外見>を見て接したら失敗します。
<ソロモン王>は神様が「欲しいもの」を言いなさいとおっしゃったとき、
<善悪を分別する知恵>を求めました。
それから<ソロモン王>は<神様の知恵>で<人の心>を分別して接して
「民を知恵深く、賢く治める王」になりました。
いつも<人の中心である心を分別>し、<その心>を見て接しなければなりません。
神様も私たちが間違いを犯したとしても、<私たちの心の中心>を見て許してくださり、再び<機会>を与えて、直しつくり行なうようにさせて、慈しみを与えてくださいます。
ではここで具体的に神様が嫌いな心と好きな心をあげておきますね。
☆神様が好きな心
- 憐れみ、慈しみ、かわいそうに思う心
- 真実な愛の心
- 勤勉な心
- 落胆せずに熱心に行なう心
- どんな時も祈る心
- 神様だけに寄り頼む心
- 堅固な信仰の心
- 互いに平和にする心
- 偽りを捨てた清い心
- いつも三位一体を讃美し感謝して栄光を帰する心
- <誰かが分かってくれてもくれなくても忠誠を尽くして変わらずに生きる心
- 口を慎み言葉を慎み、不平不満を言わない生を生きる善良な心
- 神様の行ないを分かって差し上げその心情を分かって差し上げて接する心
- あきらめずに最後まで行う心
- 間違いを認め、悔い改める心
- 真実で正直な心
- 寛容な心
- 約束を守ること
- 口先だけではなく行うこと
- 一度神様を愛したら変質しない心
など
☆神様が嫌いな心
- 嘘をつく根性
- 我慢できずに、言うべきでないことも言う根性と人のことをあれこれ言うことを好む根性
- 惑わしによく陥る根性
- 妬み嫉妬、高慢な根性
- 神様より自分を中心にする根性
- 怠惰な根性
- 異性とこの世的な根性を捨てられない肉的な根性
- 霊と肉が清くない根性
- 神様と人々に対して約束を守らない根性
- 表では天使のように接し、裏では陰口を言ってサタンのように行なう根性
- 仕事を完全にしない癖がある根性
- 言うだけで、行ないはしない根性
- 自暴自棄に陥る根性と、最後までやらない根性
- 悪い手癖と口ぎたなく言う癖を直せない根性と血気と憤りの根性
- 心と考えがころころ変わる根性
- 神様に感謝と讃美を捧げず、栄光を帰さない根性
- 自分がすべきことなのに言い訳をして後回しにする根性
- 自分のためにしてくれたことなのに誤解して接する根性
- 兄弟の心を痛めつけておいて、無責任に生きる根性
- 神様の御心どおりにせず自分の意向どおりにする根性
など
嫌いな性格の方が数が多いですね(笑)
この他にも皆さんの生活の中でたくさん気づくことがあると思います。
みんな今週の御言葉を聞いて<自分の根本の問題>を直し解決し、
<神様の心にかなう心>を学び行なって、
<神様の心にかなう人たち>になることを祝福します。