あなたは祈る時、自分のへやにはいり、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。また、祈る場合、異邦人のように、くどくどと祈るな。彼らは言葉かずが多ければ、聞きいれられるものと思っている。
マタイによる福音書6章6-7節
誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい。心は熱しているが、肉体が弱いのである」。
マタイによる福音書26章41節
今日は祈りについて考えてみたいと思います。
全知全能なる神様は完全でいらっしゃいます。
だから祈る人はみんな完全に祈らなければいけないと仰いました。
人は何か困難、大変なこと患難がある時だけ神様を探しがちです。
特に日本には、困った時の神頼み、という言葉もあるくらい、日本人は困った時だけ神様を捜す民族です。
日本人はご利益主義と言われたりもしますよね。。
しかし困った時、自分が窮地に陥った時だけ神様を捜すのは、神様を悲しませることです。
何故でしょう?
皆さんも、考えてみてください。
自分の恋人や友達、家族が、困った時だけ自分に頼り、普段良いとき、楽しいときは他の人と仲良くして一緒に楽しんでいて、楽しい時、嬉しいときは自分を呼ばないなら、
どう思うでしょうか?利用されてるように感じて悲しくなりませんか?
神様は私たち人間をとてもとても言葉では表現できないくらい愛して下さっています。
だから、良い時、悪い時、大変な時、喜びの時、特別な時だけ神様呼ぶのではなく、平凡な生活の中で良い時も悪い時もあるけれども、信仰が弱い時も強い時もあるとしても、どんな時も神様を呼び求めてほしい。とおっしゃいました。
愛しているから、どんな時も共にしたい、という神様の心です。
その神様と私たちが出会える道が祈りです。
祈りはすべてのことを無理やりではなく、自然にそうしたいと思えるように導いてくれます。これが祈りの魅力です。
祈らないと、信仰に関する様々なことも、誰かにやらされてやってる感覚になりがちです。御言葉は聞かないといけない。祈らないといけない。神様を信じないといけない。
愛さないといけない。全てが義務的になってしまいます。
でも祈ると、「やれ」と言われてやるのではなくて、やりたい、こういうふうに自然な心で行なえるようにしてくれます。
また祈りは神様の心、考えを教えてくれます。
みなさん神様の考えが分からないですか?
じゃあ、祈ってみてください。
私たちは人生を生きる中で様々大変なことがあります。
勉強も大変だし家庭も大変だし友達も大変だし様々な困難がやってきます。その中でどうしたらいいか分からなくなることありますよね?その時に祈って見てください。
そうしたら本当に不思議なことに心が柔らかくなって神様の考え通りに生きたいと思うようになります。
そして神様の考え通りに生きて神様にとって良いことをして差し上げると、不思議なことに、それが結局自分にとって良い事になります。
生活の中で神様が願われることを続けて考えて分かって生きていくと私たちは最も安定的で豊かな人生を生きるようになります。
逆に、自分がやりたい通りに肉性に従ってやると、一生頑張っても、死ぬその日までついて回るものが虚しさです。
いくら富栄華を享受しても最後死ぬ時には何も地上のものを霊界に持って行けないから虚しい。
でも神様が願う生とは特徴があります。
自分がそれまで願っていた生き方ではないけれども、神様の願う通りに生きたらとてもうれしいし、幸せだし、最高に甲斐のある人生を生きるようになるということです。
祈ってみた人は分かります。
また、祈りは、神様の御心を祈る度に悟らせてくださいます。
だから、正しい決定をできるようにしてくれます。
たまに、御言葉を聞いていると、神様の考えが、自分の考えとぶつかる時もあります。
しかし結局はその時その時、祈って神様が願われることを見つけて、それを求めて生きていってこそ、自分の根本的な価値、幸せ、そして、永遠に後悔しない人生を生きるようになります。
時には大変でつらくて、自分が神様を信じて生きることが間違っているかのようにも思えるけれども、神様に祈り、その願い通りに生きて行けば、神様が責任を取って下さり、結局は良くなり、平安になります。
では神様が願う完全な祈りとは何でしょう?
- 大変なときだけ呼ぶんじゃなくてどんな時でも神様を呼び求めること。
- そしてその時その時、自分の考えがあるけれども、自分の考え通りに願い通りにうまく行くようにしてくださいと自分中心に祈るのではなく、最後は神様の御心通りにしてくださいと、イエス様のように、神様が自分に願われることを見つけることができるように祈ること。
- ただ話さないで、神様が聞いていらっしゃるということを絶対に信じて祈ること。
- そして自分が祈る内容を順序よく一つ一つ考えながら、行き当たりばったりめちゃくちゃな文章のように祈るのではなく、相手が理解できるように筋道立てて話すように、順序正しく一つ一つ祈ること。
- 自分の矛盾と直すべきことを隠さないで悔い改めながら祈ること。
- 「聖霊様、共にしてください」「祈りに共にしてください」と聖霊様に一緒に助けてもらいながら祈ること。
- 神様の御言葉を守って行ないながら祈ること。
これが完全な祈りだとおっしゃいました。
今、様々な問題が個人にも、民族にも、世界的にも起こってるこの時、イエス様のような完全な祈りをして、神様ともっと親しくなり、自分の問題も解いてもらい、祈りの奇跡を起こしながら、自分が自分の考え通りに生きていた時より、もっと理想的で希望的で満足する人生を生きる私たちになりましょう!