私に悟らせてください。私があなたのみおしえから目を離さず、心を尽くしてそれを守るために。
詩篇119篇34節(新改訳聖書最新版)
人間は自分が自分を慣らす通りに楽で満足して生きると仰いました。
自分が習慣にして体質になってることが楽で満足するということです。
塩辛いものに慣れてる人は薄味のものを食べると満足できません。
健康に良いのは薄味の自然な味付けのものですが、
食べて満足感があるのは濃い刺激的な味のものです。
刺激的な快楽に慣れている人は、そういうものがないと満足できません。
だから、たばこやお酒、過激な性行為などの中毒症状になってしまった人が
そこから抜け出して正常な生活をするのは難しいですよね。
だからこそ、どのように自分の脳を訓練させ、どういうものを自分の習慣にするのかが
とても重要です。
それと同じく、神様の御言葉をたくさん聞いて御言葉に慣れている人は
御言葉を聞いてこそ心が楽になるし、満足します。
しかし御言葉を聞いて間もない人は、世の中の言葉や習慣になれているので、
御言葉に体質がまだ合わないし、御言葉を聞いて逆に負担になったり、満足できません。
しかし、本来の人間の性質は、み言葉を聞いて満足し、喜んで生きるように創造されています。
神様と切れた状態で生まれ、長く生きてくる中でできてしまった間違った習慣と体質を、変えて行ってこそ、人間として完全になり、苦痛と苦労から解放されます。
神様がいくら時代のみ言葉をたくさん話してくださっても、御言葉の最高の核心は、神様と聖霊様を愛して一緒に生きる生活をすることです。
神様は、祈る目的も、み言葉を聞く目的も、神様と一緒に生きる生活をするためだと仰いました。
神様と一緒に生きることは、私たちの脳から始まります。
神様を愛して、一緒に生きたい!という心と考えと精神から始まります。
そして今日のみ言葉を聞いて悟れたら、皆さんの生活全てが変わります!
今日の御言葉の主題は「<神様の行なわれたこと>を悟りなさい」です。
<神様の御心があって、神様が自分と共に行なってくださったこと>は<自分>が「どうしてそのようにしたか悟ろうとしてこそ」、<神様も聖霊様>も悟るようにしてくださいます。
神様はおっしゃいました。
「<私の御心>があって『あなたと共に行なったこと』も、あなたが悟ろうとしなければ分からない。
あなたも私を愛し私もあなたを愛しているのだから、<私>が当然「あなた」と共に行なうのではないか。
愛して一緒に生きているのに、どうして<私の行ない>を悟らずにそのまま素通りするのか。
自分が<今やったこと>に『私エホバが共にしたこと』を悟れば、<その次のこと>も『それと同じく共にするということ』を悟るようになる」
理解しやすいように例をあげて説明します。
<ある人>が道を行く途中<平素通っていた道>ではない<違う道>に行くことになりました。
<その道>を行く途中、<ある人>に会って対話をすることになりましたが、その人と対話をしている中で<自分が悩んでいた問題>が解けました。
<神様>が共になさって「その人に会うようにしてくださったこと」でした。
この時、「どうして私は<この道>に行くのだろう?」と悟ろうとしてこそ、「<神様>が『この道』へ行くようにさせたのだな!」と悟るようになり、
それにつなげて「神様が<この人>に会うようにしてくださったのだな!」
と悟るようになります。
このように<今日自分がやったこと>を振り返ってみて「どうしてそのようにしたか」考えてみてください。
そうすると、<その次>のこともつながって、自分の行ないに「神様が共になさったこと」を悟るようになります。
ただでは神様の行なわれたことを悟れません。
<神様が行なわれたこと>を悟るためには、どうしたらいいでしょうか?
考えを神様に向けて意識し、目を覚ましていなければなりません。
何故か?
神様は<心と考え>、すなわち<脳>に「もっとも多くの悟り」をくださるからです。
<祈るとき>だけではなく、
<生活の中>でいつも「神様と聖霊様」を呼んで、
<脳>で<心>で<考え>で通じなければなりません。
<神様と聖霊様>は随時私たちの心、考え、脳に
「伝えるべきこと」をお伝えになります。
<ダニエル>も<時>を「悟ろうとしたとき」悟るようになりました。
<神様の前で悟ろうと決心した初日>から、『神様から答え』をもらうようになった
ダニエル10章12節
と書いてあります。
これと同じく<神様の行なわれたこと>も
<自分>が悟ろうとしてのみ悟るようになるから、
しきりに悟ろうとしなければなりません。
<神様>が<自分>をどれほど愛していらっしゃるのか、神様の心を悟ろうとしてこそ、悟るようになります。
自分が伝道されたときのことを考えてみてください。
ある人は普段行かない場所にたまたま行った時に声をかけられました。
ある人は約束の場所を間違えて別の場所に行った時にであうようになりました。
ペテロとイエス様の出会い
ペテロも前の日なぜか徹夜しても一匹も魚が釣れませんでした。
しかし、それによってイエス様に出会い運命が変わりました。
今日この御言葉を悟りましたか?
<この御言葉>を一度聞いて終わるのではなく、「生活の中で悟ろうとしてこそ」神様が悟るようにしてくださいます。
そうすると<次のこと>につながって、生活の中で<自分が行なうこと一つ一つ>を神様と共に行ないながら
<神様の行なわれること>を悟るようになります。
ではいくつか実際に起こった出来事を通して一層実感が持てるようにしますね!
ある人は具合が悪くて、乗るはずの飛行機に乗れませんでした。
それによって墜落する飛行機に乗らずに助かりました。
またアメリカでこんなことがありました。
1950年実際に会った出来事です。
ある教会の聖歌隊が練習のため教会に行こうとしていたけれど、
15人全員がそれぞれ皆別々の事情で練習に行けなかった。
ある人は車のエンジンがなかなかかからず、ある人は娘がなかなか起きなくて、ある人は子供の服のアイロンがけに手間取って。。。
他の人はラジオがあまりにも面白くて遅れた。とるに足らない15人の理由でそれまで一度も遅刻欠席したことのないメンバーたち全員が助かりました。
毎日730分に歌の練習をしていましたが2年間遅刻する人もいなく、休んだ人もいませんでした。その日たった1人教会に来た人も、具合が悪くて、720の習合時間に間に合わず、730についた。
そしてその人がドアに手をかけた瞬間、教会が爆発したのです。
しかし彼は吹き飛ばされたが軽傷。教会は崩壊しました。
彼は自分は遅刻して助かったと泣き崩れたが、実際教会には誰一人いなかったのです。
それぞれに起こった出来事は前もって神様が助けて下さって教会に行かないようにさせたことが分かりました。
神様は<御言葉>だけを与えて終わるのではなく、<その御言葉を悟ること>によって、<生活の中で小さいことから大きいことまでいつも共になさるということ>を「続けて」悟るようにしてくださいます。
このことを悟らせるために「今日の御言葉」をくださったから、
<御言葉>を一度聞いて終わるのではなく、必ず悟って、生活の中でいつも神様と共にすることを願います。
<個人の生活の中>でも、<家庭>でも、<学校>でも、<会社>でも、<教会>でも、<神様がいつも自分と共になさること>を悟り、続けてそのような生活を成すことを祝福します。