礼拝

毎週日曜日に礼拝を捧げています。

今週の御言葉

2022年6月19日主日礼拝
聖霊様の考えと感動で行ないなさい

しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。

ヨハネによる福音書14章26節

今日の御言葉の主題は「<聖霊様の考えと感動>で行ないなさい」です。

聖霊様は<自分>を<聖霊様の考え>どおりに導いてくださいと祈れば、<すべきこと>が思い浮かぶようにしてくださって、導いてくださいます。

聖霊様は<自分の心>に感動を与えてくださることもなさり、<聖霊様の考え>を与えて行なうようにもなさいます。
また、<ほかのふさわしい人>を通して導いてくださることもなさいます。

<聖霊様が行なわれる方法>は、
<行なうこと>によって、<状況>によって数十通り、数百通りです。
<聖霊様の導き>に従って行ない、その都度経験してみてはじめて、
<聖霊様が行なわれる方法>がどれほど多いのか知ることができます。

聖霊様の行なわれる方法を少しだけ紹介すると、

  1. 御言葉を与えて方向を教え行わせる。
  2. 三位の御心通りに思い浮かぶようにする。
  3. 万物を通して見せて話し行わせる。
  4. 感動で助け、行わせる。
  5. 状況を変えて働きかける。

<聖霊様の行ない>は<行なった後>でその時はじめて悟って分かるようになります。
聖霊様が<私たちの心のハンドル>を握って行なわれるから、<始まる時>も分からず、<過程の間>もよく分かりません。
<行なった後>でその時はじめて「聖霊様が一緒に行なってくださったのだな」と分かるようになります。

ルカによる福音書12章12節でイエス様は「言うべきことは、聖霊がその時に教えてくださるからである」
とおっしゃいました。
このように、聖霊様が導かれたらどうなるのかというと、<分からなかったこと>を教えてくださり、
<以前見えなかったもの>を見えるように「心の目」を開かせてくださいます。

<聖霊様>は隠密に導かれ、<行なう自分>も<他の人>も分からないように行なうようにさせ、
<行なったあと>で「聖霊が共に行なってくださったこと」を悟らせてくださいます。

しかし、自分中心、自分の意志、自分の主観が強い人は<聖霊様の考え>を受けることができない場合もあり、受けても弱く受けます。

<自分の肉性、つまり肉の考え>が強ければ、その考えが御言葉を遮るので、<聖霊様の考え>が入らなくて、<聖霊の感動どおりに>行なうことができません。

しかし問題は、
<自分の考えで行なうとき>は「自分の考え」が間違っていても、
<無知>によって「聖霊様の考え」を受け入れることができません。
だからそのような時は<ほかの人>を通して「聖霊の考え」を伝えて導いてくださいます。
他の人を通して聖霊が自分を正して下さる時、その話を聞かないといけません。

ヨシア王、分かりますね。
ヨシアも無知の中でエジプトを通して自分の問題を解決するはずがないと思い込んでいたので、聖霊の感動を受け入れませんでした。
それで神様が人を通してネコを通してはっきりと神様が私を使っている。
私と戦ってはいけないと言ったのに、結局受け入れずに滅びてしまいました。
恐ろしいですよね。

またイスラエルの民たちがカナンに入る前に偵察に行きましたよね。
カナンの原住民を見て絶対に入れない、無理だと自分の主観で考えました。
聖霊がヨシュアとカレブに感動を与えて、神様が共にして下さったら大丈夫だ!
と言いましたが受け入れませんでした。
だから聖霊が人を通して自分の無知を壊して下さる時、それに逆らってはいけないでしょう。
このような事実は限りなくあります。
結局聖霊の感動を無視して自分の考えで行うと、滅びてしまいます。
なんでそんなこと言うんだろう。自分の考え通りにさせてよ!
と言わずに、聖霊の感動通りに行なってこそ問題も解かれるし、自分も栄えることを
知らないといけません。

では皆さん、聖霊の感動で行いたいですか?
御言葉がそうだから、ではなくて、実際に自分がそうしたいと思いますか?
ここから始めないといけないです。
実際自分がそうしたい!と思えたらそこからがスタートです。
<聖霊様の導き>に従って行なうためには、まずは<自分>が聖霊の感動で行いたいと願って、<聖霊様>に導いてくださいと願い求め、祈らなければなりません。

21この時から、イエス・キリストは、自分が必ずエルサレムに行き、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえるべきことを、弟子たちに示しはじめられた。 
22すると、ペテロはイエスをわきへ引き寄せて、いさめはじめ、「主よ、とんでもないことです。そんなことがあるはずはございません」と言った。
23イエスは振り向いて、ペテロに言われた、「サタンよ、引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」。
24それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
25自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう。
26たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。
27人の子は父の栄光のうちに、御使たちを従えて来るが、その時には、実際のおこないに応じて、それぞれに報いるであろう。
28よく聞いておくがよい、人の子が御国の力をもって来るのを見るまでは、死を味わわない者が、ここに立っている者の中にいる」。

マタイによる福音書16章21-28節

ペテロがサタンよ引き下がれとイエス様に叱られました。
自分中心を捨てられなくて、イエス様を3回も否定してしまったし、イエス様が行くべき御心の道を人間的な考えで防ごうとしてしまいました。
しかしペテロが聖霊を受けて悟って自分の考えを捨てた時からは恐れることなく逆さに十字架につけられても御心の道を大胆に行きました。
そしてそのようなペテロに聖霊がいつも共にして、ペテロを通して多くの人が伝道され、
病気が癒され死人が生き返るという奇跡も起きました。
このように自分の考え、主観を捨ててこそ、聖霊が共にして下さり、自分を通して大きなみ働き、奇跡が起こります。

このように、私たちが間違った自己主管、自分の考えを捨てて、聖霊の考えと感動に従って生きる時、神様の御心を広げることができます。
また神様を誤解せず、自分が間違った考えや主観のせいで抱えている疎外感や寂しさ、愛の問題からも抜け出すことができます。

これから、よりいっそう<聖霊様の考えと感動と教え>で行ない、自分の問題も解決し、聖霊と共に神様が願う人生を生きて自分自身も一層嬉しく幸せな人生を生きれるように聖霊に祈って願い求めて行きましょう!

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