大きくできない時だから、小さくても忠誠をもって毎日行ないなさい

主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。

マタイによる福音書25章21節

去年の1月から全世界コロナウィルスが発生し、全世界が大変な時期を過ごしています。
最近は変異ウィルスで、また続けて感染者が増えていますし、
今はコロナで、何か大きくイベントをしたり、遠くに旅行に行ったり、大人数で集まって食事をしたり、大々的に何かできない時ですよね。
買い物に行くのも不安だし、外食もできず、ずっと家に籠っている。。。という話もよく耳にします。

コロナの期間、いろいろなことが塞がっている時ですよね。
このような時期であるからこそ、私たちに危機も多いです。
経済、勉強、様々な部分で塞がっている、そういう危機の時です。
ですが、すべてのことが塞がっているわけではありません。必ず空いている部分があります。
曇っていても、うっすら晴れ間が見えていたりするように、危機の中に必ず機会はやってきます。
だから、先週は「よい時であれ悪い時であれ、機会がやって来るから、この機会に従って知恵深く行おう」
というメッセージでした。
オリンピック皆さん見ていますか?
オリンピックを見ても、陸上選手がコーナーを回る時は、相手の選手が前に出て行ける「危険な時」ですが、
自分も前に出て行ける「機会の時」です。
バスケットの試合でも、自分がゴールを入れられなかった時、相手側にボールを奪われる「危険な時」ですが、
味方側がリバウンドを取ってまたシュートを決めることができる「機会の時」です。
サッカーの試合でも、「危ない時」が多いです。相手側がドリブルをしていく時が「危険な時」ですが、
その時、ボールを奪ってドリブルをしていって、ゴールを決めることができる「機会の時」にもなります。
また、相手側がシュートを決めようとする時が「危険な時」ですが、
外れたボールを素早く奪って、むしろ自分がシュートを決める機会の時にもなります。
このように、<危機>は、「また違う機会」をもたらします。

スポーツの試合を見ていると、私たちの人生と似ている部分がとても多いです。
学校でもそうですし、職場でも家庭でも。人生を生きる時、信仰生活する時、
私たちに予定していなかった危機がやって来ることがとても多いです。
このような時、どうしたらよいのか分かりません。危機を「危機で終わるのだな」と思ってしまいます。
ですが、危機と共に機会はやってきます。
だから、危機が来ても、そこで挫折したり、落胆したり、あきらめたり、留まったりせず、
気持ちを切り替えて方法を変えて、小さいとしても行なうことがとても大事です。
小さい機会ですが、そうしたらその機会を掴むようになります。
そしてもっと大きな機会まで得るようになり、予選から準決勝、そして決勝にまで進み、逆転優勝する場合もあります。
そのようなシーンが今回オリンピックを見ても数えきれないくらいありましたよね!

神様はこの危機を危機として与えるのではなく、必ず機会にしてくださるということを忘れないでください。
今の危機はコロナによって大きくできない時だから、機会は、小さくても毎日すべきことをする、ここから生まれます。
今日の聖書の本文にもこう出ています。マタイによる福音書25章にあります。
ある主人が他国に行く時に自分の僕(しもべ)たちを呼んで、各自の才能通りにタラントを任せました。
手に負えることができる分だけ各自に任せました。ある人には5タラントを、
ある人には2タラントを、そしてある人には1タラントを任せて行かれました。
そして、主人が帰ってきて計算をしますね。そして、計算したところ、5タラントを渡された人は5タラントをもっと残しました。2タラントをもらった人は2タラントをもっと儲けました。
それを見て、主人が言いました。「あなたは小さいことに忠実であったから、これから多くのものをあなたに管理させよう。任せよう。だから、主人と一緒に喜んでくれ。」5タラント、2タラントを渡された人が、自分の才能に任された通り、自分の才能通りに残したものを、主人はそれを褒めました。
ですが、1タラントをもらった人は、自分は小さいものをもらったと考え、それを疎かにしたのです。
だから、そのタラントを土に隠して何にもしませんでした。小さいとしても行えば、小さくても残るはずですが、
一つだとしても残りますが、何もしないから、何も儲けることができませんでした。
何もしなければ、何も残らないのです。

勉強も、少しでもやれば、少しでも頭の中に残ります。
お金も、少しでも稼げば、少しでも残るようになります。
スポーツ、運動も、10分でも毎日行えば、健康を維持できます。
これと同じく、小さいとしても行えば、少しでも得るようになります。
そして、これが機会になって、大きな機会を得るようになります。
だから、今日の御言葉、大きくできない時は小さくてもやりなさい。
たくさんできない時は少なくてもやりなさい。それが集まって、積もり積もって大きくなる。

オリンピックもそうです。
だから、選手たちは、毎瞬間、小さい動き一つにも忠誠を尽くしてやっています。
それらが積りに積もって勝敗を変えるようになるし、メダルの色が変わるし、
自分が労苦してきた結果が変わるようになるからです。
これと同じく、勝利も小さいこと一つ一つが積り積もって成されるように、
悪いこともこのように小さいこと一つ一つが積もり積もって成されるようになります。
ほんの少しのミスで、運命が完全に変わってしまった例もオリンピックをみるとたくさんあります。
特に個人的に衝撃だったのは、男子400Mリレーの決勝戦です。
バトンを渡せない、という小さなことが、そのレースの運命を完全に変えてしまいました。
何事も、一度でガクッと崩れることはなく、
ほとんどは小さい問題が積り積もって、その問題が結局大きな問題になります。
家でも、夫婦ケンカをたくさんしますよね。夫婦と、子供たちも、ケンカもそうですし、小さい問題が積り積もって大きな争いになります。平素の口調とか目つき、「何であんな目つきで見るのだろう?何であんなに一言荒っぽく話すのだろう?」そういうものが積もり積もって、後になって大きな争いになることがほとんどです。
世の中で離婚する人も、大きな問題が一度に爆発して離婚するようになったことはほとんどありません。
みんな、小さい問題が積もり積もっていくのです。
このようなことを考えながら、今自分ができる小さなことは何か、今解決すべき小さい問題は何かを見つけ、
小さくでも、少しでも持続的に行って、大きくなる前に問題を解決し、小さい機会を掴んで大きな機会に変えていく私たちになっていきましょう!