2022年9月11日主日礼拝
祈りは仕事だ

イエスは彼に言われた、「もしできれば、と言うのか。信ずる者には、どんな事でもできる」。

その子の父親はすぐ叫んで言った、「信じます。不信仰なわたしを、お助けください」。

イエスは群衆が駆け寄って来るのをごらんになって、けがれた霊をしかって言われた、「言うことも聞くこともさせない霊よ、わたしがおまえに命じる。この子から出て行け。二度と、はいって来るな」。

すると霊は叫び声をあげ、激しく引きつけさせて出て行った。その子は死人のようになったので、多くの人は、死んだのだと言った。

しかし、イエスが手を取って起されると、その子は立ち上がった。

家にはいられたとき、弟子たちはひそかにお尋ねした、「わたしたちは、どうして霊を追い出せなかったのですか」。

すると、イエスは言われた、「このたぐいは、祈によらなければ、どうしても追い出すことはできない」。

マルコによる福音書9章23~29節

そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。

マルコによる福音書11章24節

わたしの義を助け守られる神よ、わたしが呼ばわる時、お答えください。あなたはわたしが悩んでいた時、わたしをくつろがせてくださいました。わたしをあわれみ、わたしの祈をお聞きください。

詩篇4篇1節

◆今日の御言葉の主題は「祈りは仕事だ」です。祈りがなぜ仕事なのか、それを悟ってこそ、祈りがかなう秘密を知ることができます。

◆信仰生活をしながら、危機が訪れることがあります。この危機は、大変な時、病気で具合が悪い時、また、誘惑を受けた時、また、心が弱くなった時、それから悪い話を聞いた時、悪い影響を受けた時、信仰が揺れる時、そして限界にぶつかった時、そういう時に危機を迎えます。

◆だから、この御言葉はとても大事な御言葉です。「いい時にはいいけれども、大変な時に危機が来るから、この御言葉をもって心をつかみ、信仰をつかみなさい」という話です。

◆今日は「祈りの本質」について御言葉を伝え、祈りという仕事によって不可能なことも解決する方法を御言葉で伝えます。

どうして祈りについて御言葉を伝えるのでしょうか?

「必ず祈ろう」ということで話しているのです。

◆祈れば、不可能なことも解決します。祈りの力はものすごいです。

・イエス様が群れの中にいらっしゃるとき、

一人の人がイエス様の前に進み出て願い求めました。

悪霊にとりつかれて苦しんでいる子のお父さんでした。

その子のお父さんはイエス様の前に進み出る前に、イエス様の弟子たちに

悪霊を追い出してくれるようにと頼んだけれども、

弟子たちにはできませんでした。

そうしてイエス様のところに進み出て、自分の息子を治せるかと尋ねて

願い求めました。

・イエス様が「信じる者にはできないことがない」とおっしゃったら、

その子のお父さんが叫んで「私は信じます。不信仰な私を助けてください」

と言いました。

・イエス様は群れが群がってくるのをご覧になって、

その子の中に入っている悪霊を叱り、

「言うことも聞くこともさせない悪霊よ、お前に命じる。

この子から出ていけ。そして二度と入ってくるな」とおっしゃいました。

イエス様が命じたら、悪霊は叫びながら子供がひどく痙攣をおこすようにさせ、

その子から出ていきました。

・悪霊が出て行く際に子供が瞬間倒れて死んだようになり、

多くの人たちはそれを見て、この子は死んだと言って驚きました。

しかしイエス様がその子の手をとって立たせたら、立ち上がりました。

このようにイエス様が話され、手をつけたら、

問題が解決し、誰でも生き返ります!

・そのあと家に入ったとき、弟子たちがひそかにイエス様に尋ねました。

「どうして私たちはその悪霊を追い出すことができなかったのでしょうか?」

と言いました。

イエス様はおっしゃいました。

<祈り>以外にほかのものでは、この類(たぐい)のものは出て行かない。」

・世の中万事<問題を解決する方法>はいろいろです。

・イエス様も「祈って」悪霊を追い出し、

苦痛を受けている人を健康にしてくださいました。

・今日の本文に出てきた、その子に入った悪霊は痙攣をおこさせ、

地面に倒れてのたうち回りながら泡を吹くようにさせる苦痛を与えました。

弟子たちはその悪霊を追い出せなかったけれども、イエス様はできました。

救い人だからです。そして「祈った」からできました。

そうして、あなたたちも祈ればできると教えてくださいました

▸これから今日のポイントとなる御言葉を伝えます。

どうして<祈り>は「仕事」だと言ったか、

はっきり知らなければなりません。

<祈り>は「仕事」だ。このひとことは「祈りが成就する秘密」です。

この秘密を悟って祈ってこそ<祈りの労苦>が無駄になりません。

今日、御言葉を伝えますから、みなさん、よく聞いてください。

◆人は生きていく中で「仕事」をするでしょう?

みなさんもみんな働いていますよね。

ご飯を食べることも「仕事」と言えます。みんな仕事をしながら生きていくのです。

<仕事>をすれば本当に苦労し、大変ではあるけれども、

それによって問題も解決し、得るものがあります。

何かの仕事を前にしてその事を解決するためには、

それに関する「仕事」をしなければなりません。

やる分だけその仕事ができます。

このように、ある仕事を前にして祈れば、

祈る分働いたことになって解決するということです。

◆<祈り>はちょうど人間が生きていく中で「仕事をすること」と同じです。

<仕事>をすれば解決するように、<祈れ>ば解決します。

具体的に話すと、

・何か苦しいことがあって、そのことを本当に解決したいけれども、

自分がその仕事に直接入って働くことができない状況の事があります。

その時は直接できることがないから、気をもむばかりですよね。

しかしこのような時もできることがあります。

それはまさに!「祈り」という仕事です。

自分がその仕事に直接入れないときは、神様に「祈って」働けばいいです。

そうすれば神様が聞かれて、

‐人を通して解決してくださるか、

‐状況を変えて解決してくださるか、

‐神様が直接解決してくださいます。

だから自分がその仕事に直接入れないからといってできないとばかり言わずに、

<祈り>で「仕事」をすればいいです。

そうすれば自分の体が直接行ってその仕事をすることと同じです。

自分の体が直接行けない状況だから、だめだ。と言って

落胆したり諦めたりしないで

必ず「祈り」で仕事をしなければなりません。

◆<仕事>は一日、二日やって終わるのではないから、

続けて仕事をしなければならないです。

お金や実績、結果を得るために、また得たものを維持するために、

続けて働かなければなりません。

だから、仕事をしながら苦労し、大変です。

そしてその仕事が<大きな>仕事であればあるほどそれだけ時間がかかり、

労苦も必要で、もっと苦労もし、大変でもあります。

また、多くの仕事をするためには多くの時間をかけて働かなければなりません。

これと同じく、大きい仕事、大きな問題を解決するためには、

多くの時間の祈りが必要です。

<祈り>は「仕事」です。働いた分だけ、その仕事ができます。祈りもそうです。

しかし熱心に働いても、働いたことが一目瞭然でない時があります。

何故でしょう?

それは、

★仕事をどうすべきか、仕事のやり方を正しく分からずにやるからです。

★仕事はするけれども、集中しないで遊びながらやるからです。

・勉強も仕事で、家事も仕事で、職場に通うことも仕事で、事業ビジネスも仕事です。

すべての仕事は「仕事のやり方」を正しく分かってやらなければならないし、

また仕事をする時は遊びながらやるのではなく集中してやってこそ、

‐働いた分だけよくなり、よりたくさん行なうようになり、

‐その仕事も早く完成します。

・<祈り>という「仕事」も、

★‐祈りをどのようにするか分かって祈ること

★‐祈る時は集中して正しく祈ること

そうしてこそ祈りもよくできるし、祈った分、一目瞭然です。

・だから祈る時は必ず聖霊に、祈りを助けてくださいと言わなければなりません。

<ローマ人への手紙8章26節>を読むと、

『御霊もまた同じように、弱いわたしを助けて下さる。

なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、

御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、

わたしたちのためにとりなして下さるからである。』とあります。

聖霊は私たちが祈るときどのように祈るべきか感動を与え、

悟らせてくださいます。

・また、もう1つ大事なことがあります。

<祈り>は「仕事」なので祈ることで解決するけれども、

  1. ‐必ず直接働いてはじめて解決することがある。
  2. 祈りですべきことがある。

このことを分かって、

<自分の責任分担>と<祈り>という2つの仕事をすることを願います。

つまり、ただ祈って「成就する時」を待つばかりではなく、

「それに該当する仕事」を行なわなければなりません。

例えば

「例えば、テストでいい点を取るようにしてください」とずーっと祈りました。

でも、祈りだけでいいですか?それに該当する仕事も必要でしょう。

勉強したり、本も読む責任を果たさないといけないでしょう。

何もしないで祈っていたばかりだったら、どのように答えが書けるだろうか。

だから、まず成されるまで祈り、

二番目は、それに該当する仕事をしていかなければなりません。

もう1つ例えるならば、

健康管理もそうです。祈っているだけでできますか?

実際に運動しなければなりません。

しかも1、2回やったのでは駄目です。

みなさんもみんなやっているでしょう。

筋肉をつけよう、体力をつけようと思っても、どうですか?

1週間、2週間やっただけでできますか?

体を丈夫に作るために管理しようとしたら、

3カ月、7カ月、1年、2年、3年の間、持続的に根気強く<祈り>もし、

<それに該当する実際の管理>もしなければなりません。

そうして健康が回復したら、そこで止まるのではなくて、

その時からは「健康の維持」のために続けて運動しなければならないですよね。

<祈り>もそうです。

何かの目的を成就するために、持続的に、根気強く、長い間

<祈ら>なければなりません。

そして祈りつつ<それに該当する仕事>も行なわなければなりません。

そうして祈りが成就したら、

その時からは「得たものを維持」し、「存在」するために、

続けて祈らなければなりません。

▶次は、<祈るとき最も重要なこと>について話します。

<祈るとき最も重要なこと>は「切実さと真実さ」です。

祈りは全知全能なる神様に祈ることだから、

切実に、真実に、まことに、心と思いと真心を尽くしてしなければなりません。

特に、成したいと思っている目的が大きければ

本当に『真実に』『長い間』根気強く祈ることが必要です。

例えば

「主よ、私、ビジネスをしようと思っています。成功するようにしてください」。

でも、すぐにできますか?1年、2年、3年かかります。

うまくいきますか、急に?

それだけ作り上げて、それだけ広報をして、絶えず祈って行なってこそ、

時になった時に栄えるんじゃないですか?

祈りもこのような心でしなければなりません。

◆みんなこのようにやらなければなりません。

祈りを数回、数十回して成就することももちろんありますが、

<大きい仕事>はそのようにしたのでは成就しません。

また、大事なポイントがあります。

いくら切実に真実に祈りつつ投資しても、

神様はいつでもくださるわけではありません。

<時>に合わせて、くださいます。

◆果実の農作をする時も一生懸命投資してもすぐに実がなるのではないでしょう? 

それだけ働きつつ「投資」しなければなりません。

仕事をしながら投資しても、「時」が来てはじめて実を採ることができます。

譬えるなら、

5歳の子が「車がほしい」と祈りました。

でも、次の日にあげられません。

少なくとも20年、30年経って、

運転免許が取れるようになってからそれが成就するようになっています。

そうでしょう?

結婚したいです。と言っても、その子が小学生だったらどうですか?

成長するまで待たないと行けません。

総理大臣になりたい。と言っても、中学生でなれるでしょうか?

10年20年30年努力して、早くても40代になって成就しますよね。

◆これと同じく、<祈り>もそうです。

小さいことはすぐに成就することもありますが、大きければ大きいほど、

必ず「時」にならなければなりません。

このように神様は、祈るだけ祈っても、すぐただくださるのではなく、

「時」が必要です。「時」になってはじめて成就します。

だから「もらう時」まで管理しながら祈らなければなりません。

そして行なうべきことを行なおうということです。

・私たちが信仰生活をする時も、

世の中から来る困難、家庭から来る困難、

自分によって発生するさまざまな困難があります。

どんなことに見舞われても、それに該当するように必ず祈らなければなりません。

特に問題や困難がある時は集中的にそのことについて祈らなければなりません。

・ある時はサタンと悪霊たちが入ってきて、さまざまに妨害する時もあります。

祈りもできないように妨害し、伝道もできないように妨害します。

命の管理をしようと思えば、友達に邪魔をされたり家で邪魔をされたりします。

伝道しようと思って出て行ったら、いろんなことに妨害され、止められます。

御言葉もきちんと聞けないように妨害し、教会に通えないように妨害するなど、

サタンと悪霊たちが私たちの生活の中に隠密に入り込んでさまざまな苦痛を与え、自分や周りの人たちの肉体を着て行なうこともあります。

特に自分が一度信仰が揺れたら、そういうことばかりずっと聞くようになります。

不思議なことに。サタンがそちら側に働きかけるからそうなるのです。

兄弟に試みに遭う人がいるでしょう?

そういう人はずーっと兄弟に試みに遭ってばかりいます。

そういう目にばかり遭います。

そこから抜けられません。経済でつらい人がいるでしょう?

いつも経済のことで大変です。サタンがそこに働くからです。

だから、祈らなければならないと言うのです。

この時、神様は黙っていないで、いつも「サタンの攻撃」から神様が私たちを保護し、

助けてくださいます。

しかし、みなさんが祈りという綱で神様とつながっていなければ、

その力を得ることができないのです。

だから祈りなさい。すべてのことにおいて。集中して願い求めなければなりません。

なぜ?サタンも集中攻撃しているのです、その面を。

異性ならば異性の方にずっと集中攻撃します。その方面で。

だから私たちも、つらい時にはその方面で、その方向で続けて願い求めながら、

つながっている神様の力を受け取らなければなりません。

また、祈って<サタン>を退かせても、

ある程度の期間は「それによる影響」があります。

これはちょうど、<手術した後>は一定期間痛いように、

<病気>が治っても一定期間痛むように、そのような期間と同じです。

<サタン>を退けても、そのあと一定の期間影響があるから、

その期間も祈らなければなりません。

・聖書の人物は誰もがたくさん祈って生きました。

・<モーセ>はいつも祈って、神様と一つになって民を導き、

神様の御心を伝えました。

・<ノア>は祈ることで神様が洪水の裁きをなさることを知るようになり、

前もって箱舟を作って準備することで裁きを免れて救われました。

・<アブラハム>も神様に毎日祭壇を築いて祈りました。

そうすることで「信仰の先祖」になりました。

・<ヤコブ>も<ヨセフ>もいつも祈ることですべての困難を解決し、

願いをかなえて生きました。

・<ダビデ王>は隣りの国と戦争をする中でも、

いつも祈ることで戦争で勝ち、統一王国を成しとげました。

・聖書のすべての預言者たちはいつも祈りました。

そうすることで神様がお使いになる人たちになりました。

・新約時代のイエス様の弟子たちもみんなたくさん祈りました。

特に<使徒パウロ>と<パトモス島の使徒ヨハネ>は深く祈ることで

聖書の深い御言葉を残しました。

▸<祈りに関する聖句>をいくつかだけ見ます。

<マタイによる福音書7章11節>

『このように、あなたがたは悪い者であっても、

自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、

天にいますあなたがたの父はなおさら、

求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。』

神様を信じても、途中で揺れて信仰が破船してしまうのは、

自分が望んだ通りにしてくれないからです。

しかし神様は、それが悪くなることじゃなければ、信じて祈ったことは

愛する人に時が来たら祈り通りに絶対に成就してくれます。

歴史的に見て、過去思い出してみてください。それが絶対的な根拠です。

神様は必ず聞いて下さる。親も子供が願ったことは全てしてあげるのに、

神様がしてあげる力がなくてしてあげないことがあるか。

失望せず喜んで心配しないで生きなさい。ということです。

<マルコによる福音書11章24節>

 『そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、

すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。』

先に信頼して確信する祈りは既に成されている。と言う話です。

信じるとは、神様を信頼する、頼る、信任する、認めること。

先に信頼したことが条件となってして下さるのです。

信じること信頼することが大きな条件です。

・過去、困難なことに見舞われたとき、皆さんも涙で祈り、

願い求めたのではありませんか。

その時黒雲が退くように困難なことが退いたのではありませんか。

神様と聖霊様と御子が、私たちを救いに来られたイエス様が、

解決してくださったのです。

・祈ることを忘れたら絶対にだめです。楽であれば忘れるようになり、

肉的なほうに行けば忘れるようになります。

忙しいからと理由をつけて祈りの時間を減らしてはいけません。

そうしたら直ちに問題が生じます。

◆過去も今も、あまりも疲れすぎて祈っているうちに居眠りをするとか、

つらくて祈れなければ、‐いつも問題が生じ、害を被りました。

祈れば、‐問題も解け、害もなく、祈ったことが絶対に成就しました!

・涙の祈りを神様が受け取り、心と思いと命をつくして祈れば、

ふさわしいことはすぐにしてくださいます。

<祈り>は「問題を解決する最高の答え」です。

冬が来る前に家をすべて建て建物を建てるように、

家や建物が完成する時まで建てるように、

<祈り>もできる時まで極的にやらなければなりません。

<祈り>の途中で途絶えたら、「家を建てる途中でやめたこと」と同じです。

<祈り>の途中で途絶えたら、「道路工事をしている途中でやめたこと」と同じです。

途中でやめたらどうなりますか?外で暮らすしかありません。

家がないから。家を建てる途中でやめたら楽に休むことができないし、

道路工事をしている途中でやめたらそこを通ることもできません。

完成するまでしなければなりません。

<祈り>はこのようにしなければなりません。

みなさん、祈りの仕方がわかりましたか?

・最後に、<祈りにおいて本当に重要なこと>があります。

それは、なんでしょう?

「時間を決めて祈ること」です。

時間があるときに祈ろうと、隙間の時間に祈っていたら、

世の中を生きていく中で自分の仕事が忙しくなって、

だんだんと祈りの時間を出すことが難しくなり、結局祈れなくなります。

だから各自<自分に合う祈りの時間>をきちんと決めておいて、

その時間だけは必ず祈って、祈らない日がないようにしなければなりません。

時間を決めておいて、その時間だけはどんなことがあっても必ず祈れば、

祈りの力が変わります!

祈れば、みなさんの考えの状況が変わるし、周辺状況も変わるということを知るようになるでしょう。

祈りは仕事です。働くとおりに仕事が解決するように、祈りという仕事をするとおりにその仕事ができ問題が解決するという御言葉を悟って実践し、毎日祈って生きる「祈りの人」になることを祝福します。アーメン。